10.08.2012

「人間は死ぬから生きられる」_02

「思量するということは、おそらく人間の存在にとって根源的な問題です。ところが、その思量がなぜ可能になるのかということろまで下りると、尋常な方法では行かない。ブッダの射程距離にはそれがあった。考えるということの限界、あるいは考えるということの根源的な意味まで分け入らなくてはいけない。仏教や禅が一番問題しているのはそこです。
そういった意味では、仏教の思想というものは言語哲学に近いかもしれない。
中略
少なくとも、通常のロジカルな考え方を壊していくという方法が、仏教、とくに禅の中にはあるんです。この意味は非常に大きい。そこからもう一度、考えるということを見つめ直して、自己というものを再構成していくわけですが..」

-南直哉

序章の啓蒙的文章ですが、言語哲学がいうところの意味の恣意性(世界を分割してそれぞれのパーツに名前と意味を与えることの無根拠性)を、アイデンティティを賭して突き詰めたあとに禅的再構築があります。

ghostwriter