4.29.2013

burden of proof


burden of proof (立証責任)、不正受給問題、国民総背番号制

刑事事件において、日本のような近代民主主義においては「疑わしきは被告人の利益に」という大原則があります。たとえば、不十分な「状況証拠」で有罪が確定することは避けなければいけません。警察、検察や取調官がどれだけ正義感に燃えて真犯人を確信したとしても、「確信」は「証拠」として有効ではなく、「正義感」は証拠不十分な被告を有罪にする根拠にはなりません。

なぜなら、私たちの社会では、1件の冤罪をなくすために、100件の真犯人を無罪にする必要があるからです。

体制や権力は、その巨大な力が、ほんのわずかでも、不当に市民に傷つけることを厳しく律しなければなりません。刑事ドラマにみられるような使命感で、捜査や告訴や裁判を行なってはいけません。裁判では、被告は、捜査当局による「被告人有罪の証明」について、一点でも瑕疵を指摘することで無罪を得ることが出来、「一点だけおかしいところがあるけれども、他はぜんぶ合ってるし」という論理で有罪とみなされることは許されません。

裁判官は、神の眼でものごとを見ることは許されません。つまり、たとえ裁判官が(大岡越前のように)なんらかの理由で被告が真犯人であることを「知って」いたとしても、それは証拠のひとつとして扱われなければならず、「おれの目はごまかせねえ。有罪。」という論理はNGです。判決を下すのは裁判官ではなく、法律であり、法律を超えた真実は、たとえ存在しても、人間を裁くことが出来ません。

生活保護の不正受給問題も同じジレンマを抱えています。不正受給はかならず一定の割合で発生します。なぜなら、保護されるべき人が受給対象から漏れることが絶対にないように、不正受給が若干発生することを前提として、フィルターが設定されているからです。不正受給を許さないためにフィルターの穴を大きくして、その結果、本当に助けを必要としている人が漏れてはいけません。

約20年前に米国でアパートを借りて、水道と電気を使うために市役所に電話した時に、「ソーシャル・セキュリティ・ナンバー」を聞かれました。そんなものはもちろん持っていなかったので「ありません」と答えると、「ok」といわれて翌日から水道と電気が開通しました。ソーシャル・セキュリティ・ナンバーは、平たくいえば、税金を払っている人物(tax payer)かどうかを識別するものです。税金を払っているかどうかを、水道と電気(が意味するところの基本的人権)を与えるかどうかの判断材料に「しない」というスタンスは、私たちの社会にとって根源的に大切なものです。この理由から、国民総背番号制はほとんどすべての近代民主国家で採用されていません。韓国は例外的に、これを取り入れていますが、その理由は彼らが最近まで軍事紛争状態にあったからです。国民背番号制がないことは、シビリアン・コントロールが実現していることの、重要なバロメーターになります。

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