6.28.2013

37_約束された場所で_06

村上: .. 悪の一面については書けるんです。たとえば汚れとか、暴力とか、嘘とか。でも悪の全体像ということになると、その姿をとらえることが出来ない。それはこの『アンダーグラウンド』を書いているときも考え続けていたことですが。
河合: .. で、開くと創造性がどう関係するかということで話を始めるんですが、それは書きやすいんです。だけどそう書きながら。『ほんとはそこに書いてる悪というのを、お前はどう定義するのか?』といわれると、これはむずかしいです。

河合: .. これは昔から言われていることだけれど、悪のための殺人って非常にニーズが少ないです。それに比べると善のための殺人というのはものすごく多い。戦争なんかそうです。だから善が張りきりだすとすごく恐ろしい。でもだからと言って「悪がいいです」なんて言えませんから、すごく困るんですわ。

村上: .. そういう人たちはオウムのことを「あいつらは絶対的な悪だ」と捉えています。でも若い人たちになると、そうではない。
河合:善悪の定義というのはとてもむずかしいことですから。小さいときから生き方によってたたき込まれているものが強いんです。これが善だ、というふうに身体がそうなってしまっている。

西洋思想というかキリスト教的世界観では、evil、つまり絶対悪という概念が存在します。永遠に和解(西洋思想では「理解」と意味が重複)することのない相手。ブッシュ政権時におけるアルカイダなんかそうです。日本では絶対悪は人間ではなく「鬼」のカタチをとって現れます。東洋思想では、相反する2つの価値(陰と陽、生と死、善と悪)は、単一のモノゴトのオモテウラであり切り離すことはできません。どちらか一方を滅ぼすと、もう一方も死にます。


河合隼雄との対談 「約束された場所で」村上春樹


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