1.31.2014

文学


以前に、「姿形もパーソナリティも完全に同じ双子の兄弟のひとりを大好きになった女の子が、もうひとりに恋心を抱かないのはなぜか?」という質問の答えとして、「人が好きなのではなくて、関係が好きだから。そうでなければ、どちらにも同じ勘定を抱くはず」という解説を書いたことがあります。

このことはとても重要です。

他者を知ることは出来ません。出来るのは自己と他者の関係を知ることのみです。関係を通してでしか知ることが出来ないのは、コミュニケーションの対象となる他者(ニンゲン)のみではありません。モノもすべて、世界のすべてがそうです。

さらに考えます。

私たちが世界との関係を知る、という行為をするときに、絶対必要なものは「自己という意識」です。それがなければ他者もモノも世界との関係は存在することが出来ず、他者もモノも世界も知覚対象になり得ません。

ここで思考を裏返します。

他者やモノや世界のすべてとの「関係」が存在しなければ、「自己という意識」がそもそも存在出来ないのではないか。「自分以外」がないところに「自分」は存在しないのではないか。われわれが日々朝から晩までやっていることは、「自分」という幻想がくずれないようにせっせと「関係」を確認していることなのではないか?誰かが自分を見てアイデンティファイしてくれる。今日だけではなくて明日も同じようにしてくれる。誰もがそうしてくれる。そうでなければ、「自己」は保てないのです。

このことは、べつに「なんとか思想」でも「なんとか主義」でもありません。人間についての理解の超基本です。わたしは19歳のときに文学部の大教室の教養講義で「これ基本だからねー。これが分かってないと、現代文学はひとつもわからないからねー」と習いました。
ここから始まります。

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