9.16.2015

成熟社会

「ぼくとしてのぼくは同性愛者が嫌いだ。でも、同性愛者を差別する社会はおかしい」「おれとしてのおれは売春婦は嫌いだ。あるいは買うオトコも大嫌いだ」「でも、売春を、あるいは売春をしている人間を、差別したり、犯罪化する社会はおかしい」こういうふうにして、実存の問題と社会的構成の問題を切り離して考えられる人間が増えれば、それは成熟した社会なんですね。
同性愛に対する、あるいは性に対する寛容さっていうのも、実存的なレベルと、社会がそれをどう遇するべきかっていう問題が、分かれているっていうことがやっぱり重要なんです。分かれていることが病理難ではなくて、分かれていることが重要なんです。
実存的な問題と社会構成的な問題が直結してしまう人間は、感情的な安全がない人間なんですよ。自分の感情的な安全がちゃんとしている人間は、ほかの人間がなにによって感情的な安全を確保しようとしているかということに、簡単にいえば無関心になるんです。それを排除したりする必要はない、だっておれはおれで大丈夫なんだ。そういう意味でいえば、感情的な安全が確保されていない人間は、こういうやつが社会にいるからお前が困った状況になるんだよ、みたいな、仮想的--に簡単に動員されてしまうってことが起こるっていう。

実存=(ほっておくと崩壊するので継続的に補修されるべき)自我

「宮台真司:成熟社会をどう生きるかー何がカッコいいのかー」
https://goo.gl/PYHbwo 00:26:20

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