2.17.2017

ラカン_02

「私は考える」というとき、その「私」という言葉は、すでに「私の存在」の身代わりでしかない。だからこそそこで考えられている「私」と「本物の私」が一致することはない。僕たちはけっして、自分という存在の根拠を手に入れることはできないのだ・
でも、だからといって嘆くにはあたらない。人間のあらゆる文化は、現実を言葉のシステムに置き換えること、すなわち「象徴界」を獲得することで、はじめて可能になったものだ。むしろ、その獲得がうまくいかなかった精神病者は、常に現実に接しているために苦しめられているとも考えられる。

「生き延びるためのラカン」斎藤 環

ghostwriter